プロジェクト亞璃紗(ありさ)とは
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プロジェクト亞璃紗とは、ご当地キャラの仲介・代行をしながら発信事業をするボランティアです。
亞璃紗とはプロジェクト亞璃紗が有するフリーのキャラクターの名前です。
その名前の語源については・・・
- 亞・・・亞空間(2.5次元)的な
- 璃・・・浄瑠璃(人形/着ぐるみ)でありながら
- 紗・・・細糸で織った軽くて薄い絹織物…転じて糸で繋ぐモノ に由来します。
ご当地キャラクターをきちんと登場させたい!
昨今溢れるご当地キャラ達。皆様はキャラクターに対してどのような事を思いますか?
…可愛い以外で。当然、暑そう・重そう・臭そう以外で。どこの地域の、何というキャラクターで・どんな思いで・何をPRしたくて・何故このイベントに登場したのか?なんて部分まで考えた事はあるでしょうか?
と同時に、そのようなキャラクターに対してどのように触れ合えば良いかと悩んだことはありませんか?
どのように写真を撮り・どのように握手をし・ふれあった後はどのような感情を抱けば良いか。マネキンに着せ・案内看板を立てておくのとは違い、人が着て・人が案内し、おおよそ30分という活動限界がある中で如何に多くの来場者に知っていただこうと頑張っているキャラクターに対してどのような感情を抱きますか?
- 暑い中頑張ってるなぁ・・・いいえ、地域を盛り上げるために頑張っています。
- 写真を撮った・・・思い出にするのも大切ですが、拡散して多くの人に知ってもらいましょう。
- ずっと一緒にいたい・・・みんなのものです、譲り合いでお願いします。
特にご当地キャラとは地域を具現化したものと言っても過言ではありません。どんな想いで作られ、何をPRしたいのかを理解した上で、ただの数合わせの客寄せパンダとしてではなくご当地キャラとして地域PRの活動をしてこそのモノだと思っています。
プロジェクト亞璃紗ではキャラクターへの理解を今一度見直し、意味のない登場で終わらせてしまわないように、ご当地キャラ(地域の看板)として地域発信出来るように、他人とのふれあい方・関わり方を見直せるようにと、着ぐるみを着たり・アテンドをしたりするお手伝いをしながら訴える事をしています。
キャラクターとのふれあい方の見直し
普段、キャラクターに対してどのようなふれあい方をしますか?
私はキャラクターとふれあう方々の姿を見て、このような事を想像しています。
- キャラクターを叩いたり殴ったりする人は、初対面の人に対しても同じ事をするのか?
- キャラクターに「喋れ!」と言う人は、車椅子の人に「立て!」と言うのか?
- キャラクターの目を触ったり・塞いだりする人は、「コイツ、ここから見てるんだよ」と
メガネをかけている人に対しても、レンズを触ったり・塞いで失明させようとするのか? - キャラクターを下から覗く人は、女性のスカートも下から覗くのか?
- キャラクターのチャックを下ろそうとする人は、道行く人の服も脱がそうとするのか?
- キャラクターの手を無理やり引っ張る人は、杖をついて歩いている老人や松葉杖の人、
足の短い子どもなどの手も取り、自分の歩幅やペースで無理やり引っ張り歩かせるのか?
通常、他人に対しては出来ているであろう事が、何故キャラクターに対しては出来ないのであろう?
そこには運営する側にも、登場に関わるスタッフ側にも、そしてお客様側にも、教える事の出来る人がいない中でどこか理解が足りず、大切なものが欠落しているのではないかと思います。言われれば誰でも分かりそうな事ですが、それに気付いていただけるように1石を投じ、毒舌になりながら一念発起の起爆剤になればと訴えています。
私はご当地キャラとは地域が生んだ・地域を具現化した子ども同然だと考え、地域みんなで子どもを育てるようにキャラクターも助けていきたいと願っています。ご当地キャラが溢れる昨今において、キャラクターを救い出して(掬い出して)繋げる事で地域が繋がり、地域の素晴らしさを発信するお手伝いが出来ればと活動しています。
また、キャラクターの事をこのように考えた事はないでしょうか?
喋る事が出来ない[一部例外を除く]、自由に身動きが出来ない、イベント時は身体のみが駆り出され(借り出され)真の意味で意思を持つ事が出来ていない。・・・まるでこれは障害を持った人と同じではないかと。
キャラクターをアテンドするという事は正に、障害者介護をしながら接客をする事と等しく思う中で、車椅子の人を外に連れ出すようにキャラクターを外へ連れ出し、車椅子の人を理解してもらうようにキャラクターの事も理解してもらえるように説明するといった事が任されるのではないかと考えます。決して、キャラクターの横に立っているだけで楽だという仕事ではないと思います。
キャラクター運営に対する問いかけ
そもそもゆるキャラとは、ただ作る・貸す・誰かに着せる・登場させる…昨今においてそれだけで終わっている事が多いように感じます。つまりそれは楽譜を見さえすれば練習なんてしなくても唄なんて歌えるでしょ?だとか、レシピ通り作ったならば味見なんてしなくても料理なんてお客様に出して平気でしょ?と言っているのと同じ事だと思います。その結果、本来の存在理由が分からなくなり、中の人の事ばかりが気になり、キャラクター自体の存在意義や存在目的を見失っているのではないでしょうか?
日本古来の伝統芸能である獅子舞も大きな意味で着ぐるみと言えるのではないでしょうか?獅子舞とは、日々稽古をするからこそ披露出来るもの。そして獅子舞に対しては周囲も中の人に固執して見る事もなく、地域のために頑張る人と見る事が出来ます。ならば着ぐるみだって稽古をし、しっかりと知った上で演じるべきモノだと思いますし、周囲も地域のために頑張る人と見る事が出来ても良いのではないでしょうか?
であるならば着ぐるみも学びや練習があって人前に出るべきものであり、何かを行っている人が発表のツールとして使用するのが正しい使い方ではないかと考えました。言うならば獅子舞の保存会のように、ご当地キャラの保存会…キャラクター盛り上げ隊がいても良いのでは?と思い、活動しています。
ご当地キャラを通した総合学習の提唱
プロジェクト亞璃紗では上記のような事を思う中で、地域のために活動するキャラクターとのふれあい方を見つめ直し、地域発信に繋げられるようにお手伝いをしています。一言で言えばご当地キャラをきちんと登場させたい!それに尽きるのですが、きちんと登場させることで人や団体、名産や名物、文化地域など様々なモノと結びつけられたらと願っています。
- 子ども達はご当地キャラとふれあう事で地域を知り、キャラを通して地域の事も好きになる
- 高校生くらいからはご当地キャラを演じる事で、顔や声を出さずとも地域に貢献出来る事を知り、
そのイベントに参加した事で地域の人との繋がりもつくれる。 - それ以上。アテンドとして傍に居て、発信するには自分がご当地キャラの事を…
地域の事を知らなければならないというキッカケがつくれる。
昨今、大学生になると都会に出てしまう人も多い中で、地元にいる内に地域愛を持ってもらうためにご当地キャラを通した活動は素敵だと思っています。しかし、世間からは単なる客寄せパンダだと思い、周囲の人達も登場中に「着ぐるみの中には可愛い子が入っています」などと機密情報も守れずに喋ったり、叩かれたりしていても注意出来ず守れていない現状では、ふれあう子どもも演じる学生も地域愛を持つのは難しいだろうと感じます。果たしてそのような中で、地域で子どもを育てると胸を張って言えるのでしょうか?「何かあったら私が守るからね!」それくらいの気持ちが大切なのではないでしょうか?
今はまだその気持ちがなくとも、キャラクターに関わる事でキャラクターや地元の事を知り、愛着を持ってもらう事で、県外に出た時に自分の地元にはこんなキャラクターがいるんだ・いいものがあるのだと誇りに思い、周囲に自慢・紹介が出来るようになってくれる日が来たらと思います。